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他人の好意を台無しにするブログ

デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆

 

eiga.com

 

公開からだいぶ時間がたってしまいましたが観てきました。

デジモンは子供の頃アニメを観ていたり、カード集めたり、液晶ゲームを熱心にやったりと結構好きだった部類だと思います。一番熱心に遊んでたのは『テイマーズ』の頃だと思いますが。

 

デジモンというコンテンツからは『テイマーズ』が終わったくらいから離れてしまって、何年か前にやってた『tri.』も結局観ないままいつのまにか終わってしまった、そのくらいの距離感だったのですが、予告でアグモンが「大きくなったね、太一」というシーンを観て、これは絶対観に行こう…と心に決めていました。


『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』 予告編

こんなの見せられたら、観に行くしかないですよね。

 

太一とアグモンたちが出会い、デジタルワールドを冒険した夏から十年以上が経過した2010年。
世界中の“選ばれし子どもたち”は徐々にその存在が認知され、現実世界にデジモンがいる風景も珍しくなくなっていた。
太一は大学生となり、ヤマトたちもそれぞれ歩むべき道を見定め、自身の進路を進み始めていた。
そんな中、世界中の“選ばれし子どもたち”の周囲で、ある事件が起こり始める。
太一たちの前に現れたデジモンを専門に研究する学者・メノアと井村は、”エオスモン”と呼ばれるデジモンが原因だと語り、助力を求めてくる。
事件解決に向けて、太一たち選ばれし子どもたちが再び集結。
しかし、エオスモンとの戦いの中でアグモンたちの“進化”に異変が起こる。その様子を見たメノアは、太一たちに衝撃の事実を語る。
選ばれし子どもが大人になった時、パートナーデジモンはその姿を消してしまう――。
エオスモンの脅威は、次第に太一の仲間たちにも及んでいく。
戦わなければ仲間を救えない、しかし無理な戦闘はパートナーとの別れを早めていく事に。
ずっと一緒にいると思っていた。
一番大切な存在と別れてでも戦うのか?
“選ばれし子ども”が大人になるということ――。
変えられぬ宿命を前に、太一とアグモンの”絆”が導き出す、自分たちだけの答えとは?

 

エオスモンの脅威を前に「大人になってしまうと、デジモンとのパートナー関係が解消されてしまう」という事実を突きつけられた太一とアグモン、ヤマトとガブモンのお話でした。まぁ尺が限られているしこの2人にフォーカスを当てるのは自然でしょう。

 

「大人になってしまう」というのは単なる年齢の話ではなく、選ばれし子供たちに眠る「無限の可能性」のエネルギーがなくなったときにデジモンとの関係が消えてしまうということらしくて、(作劇上の都合もあるでしょうが)大学卒業が近づいてきても自分の進むべき道を見つけられていない太一とヤマトだけがその対象になってしまう。

まさか自分がアラサーになってから太一とヤマトが居酒屋で進路について悩む映像をを映画館で観ることになるとは思ってなかった…。

 

太一もヤマトもパートナーとの別れを受けいれられず迷いながら戦うわけですが、敵の目的は「選ばれし子供たちとデジモンの意識データを電脳世界に幽閉して、永遠に大人にならない=パートナーデジモンとずっと一緒にいられる理想郷を作る」ことだったので、2人ともその世界を本当に壊すべきか逡巡してしまう。

 

…とまあ分かりやすすぎるくらい映画を観ている我々のことなんですよね。

大人になっていくに従ってデジモンという存在から離れて行ってしまうこと、それが良いことだとは思わないけど純粋に楽しかった子供の頃から思い出に浸っていたいという願望、がそっくりそのまま劇中の太一とヤマトに反映されていました。

 

その中で「変わっていく」太一たちの最後に背中を押したのが「変わらない」アグモンたちだったのが本当に素晴らしいところだと思っています。

 

作中で「変わらない」ことが何回も強調された(ついでに声優も変わっていない)彼らが、「太一たちの成長する姿を見るのが楽しかった」と気持ちを告げたことで太一とヤマトが「思い出に縋ってないで、前に進まないといけない」と覚悟を決める流れは美しいと思いました。20年前と変わらないアグモンとガブモンなんて正直子供の頃の思い出の権化だと思うのですが、その2匹が「今」の子供たちの変化を肯定した上で、その先にある別れを承知の上で背中を押してくれるっていう流れが良かったなあ、と。

 

デジモンと共に歩んだ、全ての"子供たちへー。"」というコピーにふさわしいメッセージが込められた映画だったし、デジモンが好きだったアラサーなら絶対観て公開しないと言える作品だと思います。

 

話の流れとあまり関係ないところで、「オメガモン出すなら進化の映像もっと尺取ってくれよ」とか「そもそもなんかキモい新規形態出すなら普通にウォーグレイモンとメタルガルルモン出してくれよ」…とかそういう不満点はありますが。

 

逆に敵デジモンのエオスモンは特に最終形態がめちゃくちゃかっこよかった、というか神々しくて良いデザインだなあと思いましたし、エクスブイモンとかディノビーモンなんて動いてるのを見るのはそれこそ20年ぶりくらいだったしそこは良かったですね。

 

そこまできたらパイルドラモンが観たくなかったかといえば嘘になりますが。

 

ただ「最後」を謳って、このメッセージを伝えておいて、4月からリメイクの新作アニメをやるっていう事実だけでだいぶ台無し感があるのは否めないと思います。

今までも散々使いまわしてきたんだし、公式もそろそろ過去作に縋ってないで前に進んでほしいですね。

 

おしまい。