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他人の好意を台無しにするブログ

アーティスト

 

アーティスト (字幕版)

アーティスト (字幕版)

  • 発売日: 2014/08/13
  • メディア: Prime Video
 

 『雨に唄えば』がサイレント映画からトーキー映画への移行期を描いた映画だったのですが、「そういえばこの映画もそうだったよな…」と思ったアカデミー作品賞受賞作。

 

雨に唄えば』の主人公はトーキーへの移行にも上手く対応できていましたが、本作の主人公は時代の流れに取り残され忘れられていく俳優が主人公で、作品から受ける印象は全く違いました。

 

何より特筆すべきはこの映画自体がほぼ全編サイレントで制作されていること。台詞は文字情報として部分的に画面に表示されるだけであとは動きのみ。昔の映画ってこんな感じだったのか…と勉強になります。

それと犬が異様に存在感を示していたのが印象的でした。あまりにも目立ちすぎだしこの犬演技上手すぎだろ!と思っていたらアカデミー賞を受賞させろという組織運動があったり、グローマンズ・チャイニーズ・シアター肉球の形があったりととんでもないエピソードがある名犬らしくて笑ってしまいました。

 

ノスタルジックな映画愛に満ちていて賞レースを総舐めするのはすごくわかる(あんまり褒めてません)し、やりたいことは十二分に伝わってくる作品なのですが、2011年公開の映画で全編白黒+サイレントなのは正直観る側への負荷が大きすぎる気がします。

 

「トーキーの時代になってもサイレントから抜け出せない主人公」を表現するために作中時代が進んでもサイレント演出が続く、という意図は分かるし、最後のシーンまでそれを引っ張ることでジョージが前に進めたことを表現するのも上手いなあとは思うのですが、単純に現代において100分サイレント映画を観続けるのが大変でした。

 

「サイレントを作りたい」というモチベーションで作られた作品だし、そうする意味も十分感じる*1映画にはなっていたので難しいところですが…。

 

サイレントの時代ってこの映画で描かれている通り1930年くらいには終わりを迎えているので、その時代を懐古するような層がターゲットというわけでもないだろうし、フルに楽しめる人ってかなり限られるような。

 

面白い作品なのは間違いないんですけど正直観てて疲れたし、これを機に他のサイレント映画を観てみよう…とはならなかったですね。

 

おしまい。

*1:特に最後のBANG!はサイレントじゃないと成り立たない演出でした