虐殺器官
9・11以降の“テロとの戦い"は転機を迎えていた。 先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、 後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。 米軍大尉クラヴィス・シェパードは、 その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、 ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう…… 彼の目的とはいったいなにか? 大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官"とは? 現代の罪と罰を描破する、ゼロ年代最高のフィクション
『ハーモニー』は3回くらい読んでるし、死んだときに墓に入れてほしい小説を10作選べと言われたら迷いなくチョイスするくらいには好きなのですが、『虐殺器官』は読んだことないな…と思っていたところ、最近Kindleで半額なのを見つけたのでついに手を伸ばしました。まぁしょっちゅう半額になってたし今更なんですが。
そもそも研修医の頃に実習に来ていた読書好きの学生さんと『ハーモニー』の話をしたときに「『ハーモニー』の方が面白いですよ」って言われてから何となく読んでなかっただけなんですけどね。すぐ他人の意見を真に受ける。
『ハーモニー』と同じで、人間の意識や心は進化の過程で得た身体機能でしかない、という考え方が根底にある作品。多様な機能を司る脳の各モジュールの総和でしかない意識。作中で「戦闘適応感情調整」によって容易に外的に操作できてしまう意識。どこからどこまでが自分の意思、意識なのかという疑問。そもそも意識とは自分のものなのだろうか、という苦悩。
伊藤計劃の作品が、闘病中に精神安定剤(なんなのかは分からないけれど)を投与された経験に大きく影響されているというのは割と有名な話らしく、こんな風に精神科の雑誌に記事が寄せられているくらい。なんとなく意識や心、感情といったものは不可侵領域で、「自分が自分である」ということのコアであるような気になっているけれど、それは薬ひとつ、ホルモンの作用ひとつで変わってしまうとても不確かなもの。
薬で簡単に変わってしまう感情は果たして本当に自分のものなのか、そもそも確固たる自分などというものが存在するのか。
そういった葛藤がクラヴィスの苦悩にトレースされているように感じた。
比べると『ハーモニー』のトァンはこの点に関しては割とドライだった印象がある。世界が、意識がどうなろうがどうでもいいからとりあえずミァハに会わせろ的な。そういう部分百合小説って言われるゆえんなんでしょうけど。
伊藤計劃がセロトニン再取り込みを阻害されたのかドパミン受容体をブロックされたのかは分かりませんが、その経験の中で生じた心や意識の神秘性、唯一性に対する疑念と、それを受け入れきれない葛藤といった部分は本作の方が強く表現されている印象で、かなり読み応えがありました。
他のポイントだと、クラヴィスとルツィアの言語に対するディスカッションも興味深かった。ことばは神から与えられた神秘などではなく「予想する」という思考を可能にするために進化の産物として得た一種の「器官」であるというお話。最近読んだこの本でも、人間の脳は因果的推論により生存適応性を高めるように進化してきたという論述があったのでタイムリーだなあと思ったり。
あとは感覚器官が退化してしまった人間にとって、言葉こそが他の個体に影響を与えるフェロモンのようなものだという感覚も面白いなあと思った。伊藤計劃が人間の意識について深く考えていた事は周知ですが、言語についてもかなり関心があったのだと思う。
逆に引っかかった部分を敢えてあげるとすれば任務で接触した相手に好意を持ってしまい…という展開が白黒時代の探偵映画みたいで若干陳腐に感じてしまった部分と、ジョン・ポールの描写が淡白だった辺りかな。
それでもページめくる手は止まらなかったし、良質なフィクションであることには変わりないけれど。