その分現金でくださいよ。

他人の好意を台無しにするブログ

一九八四年

 

“ビッグ・ブラザー”率いる党が支配する全体主義的近未来。ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務する党員で、歴史の改竄が仕事だった。彼は、完璧な屈従を強いる体制に以前より不満を抱いていた。ある時、奔放な美女ジュリアと恋に落ちたことを契機に、彼は伝説的な裏切り者が組織したと噂される反政府地下活動に惹かれるようになるが…。二十世紀世界文学の最高傑作が新訳版で登場。

訳者あとがきによるとイギリス人が「読んだことないのに読んだふりをしている本」第1位らしい。まぁタイトルだけ知ってて実際は…みたいなのよくありますよね。

 

大きく三つの章に分けられているお話で、主人公ウィンストンの視点から語られる「党」の支配による世界が語られる第一章。今年はこの手の全体主義ディストピア小説を何冊か読んでいたんですけど、もはや監視・階級はあるあるに思えてきた。なろうテンプレならぬディストピアテンプレ。その中で面白いなと思ったのはやはり記録の改竄による「事実の改変」と「ニュースピーク」の存在でしょう。

 

「世界は事実の総体である」とは『論理哲学論考』の一説ですが、その「事実」が記録に依存している以上、それを握っている党が世界を都合の良いように改変できるし、改変した・されたという事実すら(「二重思考」によって)認識しなければそれ自体が唯一の事実になる。本作の二重思考ほど極端ではなくても人間の認識や記憶って本当に曖昧なものだし、それを補うのが記録だと思うのだけれど、それをある共同体が恣意的に改変できるのであれば「真実はいつもひとつ」的な考え方って実は脆いのでは?と思わされる。

動物農場』の動物たちだって字がろくに読めない上に、支配層の豚が以前に何言っていたか忘れてたせいで言われるがままになってたわけだし。

 

そして「ニュースピーク」。徹底的に語彙が減らされ、簡素化した新言語を浸透させることによって党のイデオロギー以外の価値観や異論を考えることができなくなっていく。抽象的な思考が言語によって成り立っている以上、その言語自体に制限をかけることで人間の思考領域をコントロールすることができる、というのはありえそうで面白い。ニュースピークまで行かなくても、判を押したような定型文だけで会話していると、自分の思考もそれ以上広がらないのではないかと怖くなってきた。自省します。

ただコミュニケーションのための世界共通語にするんだったら習得が簡単そうで便利だろうなあ、とは思いました。

 

本格的にストーリーが動いていく第二章では、さっきまで社会の欺瞞に対してつらつらと語っていた癖に、若い女に告白されただけで頭の中がお花畑になってしまったウィンストン君に心底失望させられました。お前いい歳したおっさんやろ。

 

ここで面白かったのが、ウィンストンとジュリアは価値観を共にする、(作中で使われてる意味ではなく)同志のように見えて、その実全くそんなことはなかったところ。自分の快不快、損得が関わるところでは小狡く立ち回って、時にはリスクを侵すものの、何かしらイデオロギー的な主義主張があるわけでもないし、関心もない。とりあえず自分の見える範囲だけで楽しく生きようとするジュリアの価値感は1949年に発表された作品ながら、今の価値観で見てもかなり現代的だと思うんですよね。自分もどちらかと言うとそういうタイプだと思う。

「君は腰から下だけが反逆者なんだな」は笑っちゃったけど。

第二章の終盤、ウィンストンがジュリアにゴールドスタインの著書を読み聞かせる中で作中世界の真実が明らかになっていく場面でも、ジュリアは関心がなさすぎて寝てたってのも面白い。この2人の認識のズレは人間味のない社会を描いた本作の中でめちゃくちゃ人間っぽくて好きでした。

「正統の意味をまったく理解していなくとも、正統と見える振舞いをすることがどれほど簡単であるかがよく分かる」というのはその通りだと思うし、人間はその振舞いで他人の内面を推し量ることしかできない以上、真の意味で他人と理解し合うことや、真に志を共にする人間に出会うことは非常に困難だろうなということを考えたりしました。というか無理でしょうね。

そして根本的な部分では解釈の不一致を覚えながらも、ウィンストン君はどうやらジュリアのことを本気で愛していたらしいというのも不合理ではあるんだけれどそれこそが人間って感じがして興味深かったです。

単に脳内思考と下半身がパラレルだっただけかもしれませんが。

 

そして2人が「思考警察」に捕まって拷問にかけられる第三章。党の理念を体現する登場人物であるオブライエンの独擅場。第一章、第二章で語られた党の思想を拷問とセットでウィンストン(と読者)に叩き込んでくれるパート。本当アンタは党員の鑑だよ。

党員の鑑すぎてオブライエンが息をするように「二重思考」を使うので何回か読み直さないと「これどういうこと?」となるような箇所も多々ありましたが、それは僕の思想訓練が不十分だったせいでしょう。

拷問にかけられながら狂人との禅問答をすればウィンストンじゃなくても4本の指が5本に見えたり、女性声優が妹だったり幼馴染に見えてくるのかもしれない。

ウィンストンみたいな異分子を党の理念にフィックスしていくのってかなりおぞましいな、と思ったんですけど、実社会でも黒白、犯罪中止、二重思考を強いられる場面ってそれなりにあることなんですよね。具体例は出しませんが。

こんな突拍子もない世界観で話を作っておいて、よくよく考えると骨子はそこまで現実と乖離してない概念がベースになっているのは読んでいると思考の幅が広がる感じがして楽しいですね。ニュースピーク話者じゃなくてよかった。

 

この手の管理社会的ディストピア小説の話運び自体はどうしても似通ってくる感じがあるけれど、その中に詰め込まれた作者の思索を感じとることができたし貴重な読書経験でした。読んできた中では話の肉付けが同ジャンル中でもかなり重厚だった印象があります。いろいろ考えをめぐらす話を読んでると感想も長くなってしまう。

 

1つ文句を言いたいところとしては、電子書籍版だと文庫本にはついているトマス・ピンチョンの解説がまるまるカットされちゃってるところ。

それは削っちゃダメなところだろって突っ込んでしまった。

まぁ紙の本も持ってるから後で読んだんですけどね。デッドメディア最高。