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他人の好意を台無しにするブログ

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

やたら賛否両論だったエピソード8『最後のジェダイ』から2年、ついにスカイウォーカーの物語は最終作。
ディズニーがルーカスフィルムを買収して『フォースの覚醒』から毎年マシンガンのようにスター・ウォーズの新作を作るせいか、エピソード7の時みたいな盛り上がりは若干薄れているような。
制作側もそれはわかっているのか、これから数年は新作を作らない、と言っていますね。まぁ2022年からは新シリーズ作るらしいですが。

『エピソード8』が賛否両論だった理由っていうのはまぁルークの扱いとか、カジノがおもんないとか、フォースの扱いとかいろいろとあると思うのですが、個人的にはそもそもルークってそんな聖人君子でもないし、血統主義の脱却っていうのは若干ポリコレを感じてしまいますがこのシリーズとは親和性の高いテーマかなと思いますし(そもそもフォースはスカイウォーカーだけのものではないですからね)、新しい「スター・ウォーズ」といった感じの物語かなという印象でした。
カジノはおもんなかったです。

僕がプリクエルから入ったファンで、ルーク・スカイウォーカーに対する思い入れはそこまで強くない(と思っている)ので、ルークの扱いにそこまで不満を感じなかったってのもあるかと思いますけどね。

そんな中で公開されたエピソード9。
予告編では「あの」皇帝陛下の高笑いが聞こえてきて驚きましたし、嫌でも期待してしまいます。
初日のレイトショーで見に行ったのですが、毎日ガラガラな最寄りの映画館にたくさんの人がいて、さすがの人気だなあと。

なんだかんだで好きなシリーズなので楽しみにしていたのですが
「いや面白くないとは言わないけど、これでいいの…?」
が鑑賞後の正直な気持ち。

一番納得行かなかったのが、主人公であるレイが実は(EP9で雑に生き返った)パルパティーンの孫でした!という事実。

主人公が実は黒幕の血縁でした!っていう展開は王道的に盛り上がりますし、そもそもそれが流行った一因ってこのシリーズだろうし、それ自体はいいんですよ。
問題はエピソード8で「レイの両親はなんでもないただの一般人で、酒代欲しさにレイを売った」って話になっていたこと。前作の時点でミスリードでもなんでもなくそういうことになっていたと思うのですが、急にこの物語の最重要人物の孫でしたとか言われても「前作で叩かれたから設定変えたのか?」としか思わないし、盛り上がれと言われても少し無理がある。
レイがとっさにフォース・ライトニングを使ってしまう辺りは「もしかして…」という伏線なんでしょうが、それにしても今作から急に出てきた話です。
「名もないその辺の一般人の子でも強いフォースを持ち、立ち上がって戦うことができる」というのがエピソード8の「伝えたいこと」だったと思うのですが。
前作で明らかに明言された事実と180度違うこと、しかもツェペリさんに子供がいたとかいなかったとかいうレベルの設定変更ではなく、物語の根幹に関わる事実を次の作品でひっくり返してしまうのは、面白いとか面白くないとかいう以前に、作品として不誠実さを感じました。

それ抜きにしても、そもそもパルパティーンって子供おったんかいって話ですし、レイの両親はパルパティーンから子供を守るために泣く泣くレイを田舎の惑星に売り飛ばしたっていう(後付け的な)事実が明かされるのですが、そもそもレイが生まれたのってパルパティーンが死んだ(ってことになった)後じゃない?とか、銀河一狡猾なシスであるパルパティーンが自分の子供に裏切られるってのは考えにくいなあとか、いろんな?がついちゃうし、設定としてもあんまりうまくないなあと。
今作の話を見る限りはパルパティーンはレイを新たなシスに仕立て上げようと画策していたようですが、EP1-3で自分の思うがままに宇宙を操って帝国を樹立したパルパティーンが自分の子供にしてやられて孫を見失うとは全く思えないんですよね。まぁ小説とかでそこらへんは設定つけたりするかもしれませんが…。

もう1つ不満だったのがラストシーン。
パルパティーンを倒して(あの倒し方だと絶対また復活すると思いますが)、レイがタトゥイーンを訪れ、今まで「レイ」でしかなかった彼女がルークとレイアの霊体に見守られながら「レイ・スカイウォーカー」を名乗り、夜明けとともにスタッフロール。
雰囲気だけ感じてれば感動的なシーンに思えなくもないですが、これも映画の論旨と違ってないか?と思ってしまいました。
自分の出自とそれから来る「自分がダークサイドに落ちてしまうのではないか」という恐れにルーク(霊体)はルークもレイアもレイがシスの血を引いていたことは知っていたと伝えたうえで「大事なのは心のありようだ」みたいなことを諭して決戦に送り出すんですよね。スカイウォーカーの血を引きながらダークサイドに落ちてしまったヴェイダーやカイロ・レンのことを考えれば説得力抜群です。
要するにスカイウォーカーだろうが、パルパティーンだろうが大事なのは血筋ではなく個人の意思、というのがこの映画の趣旨…だと思うじゃないですか。血統主義からの脱却、ということであればこの流れはエピソード8で言いたかったことをしっかり引き継いでいると思います。
じゃあなんで最後「スカイウォーカー」を名乗ってしまうのか。
大事なのは血統ではなく心のありようなのであれば自信をもって「レイ・パルパティーン」を名乗ればいいんじゃないでしょうか。
「スカイウォーカーの夜明け」という副題に合わせたシーンで雰囲気だけはしっかり出ているのですが、結局「スカイウォーカーがライトサイドで、パルパティーンがダークサイド」という構図から抜け出せていなかったのかなと。
最初から光と闇を相容れないものとしてガチンコ対決させるならそれでいいんですけど、全くそうじゃなかったですよね。

過去作のキャラクターが出てきたり、過去作のオマージュみたいなシーンが出てきて、ここで盛り上げたいんだろうな、というのは伝わるのですが、そもそもルーク、レイア、ハン・ソロ辺りはEP7からずっと出てきてるのでもうさすがにそれだけじゃ盛り上げきれないだろ感しかなかったのも痛い。
それに加えて、この三部作で光と闇の狭間で悩むレイとカイロ・レンに最も寄り添うことが出来るのはアナキン・スカイウォーカーしかいないってずっと思っていたんですけど、全く話に絡まなかったのはすごく残念でした。
EP6でジェダイへの帰還を果たし、フォースと一体化したんだから出れたはずなのに…。
まぁヘイデン・クリステンセンの声だけは一瞬出たんですけど、正直観たときは全然確証持てなかったし、呼べるならちゃんと出しなさいよ、というのが正直なところ。
シスとしてのヴェイダーに魅了されてしまったカイロ・レンとすべてを経験したアナキンの絡みめちゃくちゃ観たかった…。映画の時系列的にしょうがない部分もありますが、いわゆる「ファンサービス」的なシーンも旧三部作に偏っていて、結局SWのファンサービスって旧三部作で育ったおじさん向けなんだな、って少し拗ねてしまった部分もあります。

よかったところは…カイロ・レンですかね。
このキャラクターを生み出したことはシークエル・トリロジー最大の功績だと思っています。ダース・ヴェイダーパルパティーンみたいな「絶対的な悪役」とは違う、「暗黒面に憧れるけど、悪になり切れない悪役」。EP7が公開された時あまりのヘタレ感とハン・ソロ殺したせいで結構叩かれてた記憶がありますが、ヴェイダーやパルパティーンのような、映画史に残るような悪役は狙って作れないと思いますし、ヴィランに対してアプローチを変えたのは素晴らしいと思っています。
実際パルパティーンの後釜みたいな感じで作った最高指導者スノークはなんだっのかもわからないままEP8で何のひねりもなく雑に死んだ上に今作でまたどうしようもない理由付けがされていますからね。EP7の時に演者のアダム・ドライバーがインタビューで言っていた「カイロ・レンの粗削りなライトセーバーが彼自身を象徴している」という言葉の通りで、アダムはその不安定な彼を存分に表現してくれたと思っています。本編で迷いを断ち切ったあとのカイロ・レン(ベン・ソロと言うべきでしょうか)の顔は本当にかっこいいんですよ…役者ってすごいですね。まあその分最後のパルパティーンとの戦いでフォース吸われた挙句雑に吹っ飛ばされたのはマジで納得行ってないんですけど。

EP7から出てきた他のキャラクターは正直影が薄いというか、描写が足りなかったというのが正直なところではないでしょうか。ぶっちゃけレイアやルークが絡んできたことの割を食ってると思います。

総じていうと、ファンサービスをしようという気持ちは伝わってくるんですけど、そのファンサービスが旧作キャラ、ひいては旧三部作の人気頼みだなっていうのが透けて見えてしまうし、そのせいで新キャラを魅力的に描くことには力が入っていないように見えてしまった。キャストロールも最初レイアとルークでしたからね。
これに関してはキャリー・フィッシャーが亡くなってしまったことが影響しているかもしれませんが…。
僕が観たかったのは「レイと仲間、そしてカイロ・レンが紡ぐ新しいスター・ウォーズ」であって、「40年以上前の映画のキャラをとりあえず出して懐かしさで盛り上がる映画」ではないんですよね。
もちろん過去作のキャストが出てくれるのは嬉しいですし、それで盛り上がるのは間違いないんですけど、上述の通り、「エピソード7からそれをやっているのにエピソード9までそれだけで引っ張るのは無理がある」と思います。
だからこそ、新しいキャラクター達を次のルークやレイア、ハンやチューイみたいな人気キャラにできるような映画を作るべきだったのではないかな、と。
まぁ、ガンダムとか仮面ライダーみたいに10年経ったらフィンやポーも超人気キャラになってるかもしれませんけどね。

2022年には新たな3部作を…って話だったけど、ディズニーは「新しい」スター・ウォーズを作ることが出来るんでしょうかね。まぁシリーズ化する時点でこのコンテンツの知名度頼りなんですけど。商業的な側面もある程度理解はできますが、過去作の人気頼りではなく、ちゃんと「作りたいもの」を確立してから作ってほしい。
「いったん閉じた物語」を再び開くことの難しさを感じたシークエル・トリロジーでした。