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他人の好意を台無しにするブログ

仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション

本当は公開初日の朝イチの回を観るはずだったのですが、その日朝仕事が入っていたことを完全に失念したままチケットを取ってしまいチケットが無駄になり、次の日に観ようとしたら寝過ごしてしまいチケットが無駄になりと意識の低さを見せつけた結果、実際に観に行くまで無駄に期間が空いてしまいました。

『ジオウ』と『ゼロワン』が共演する冬映画。
夏の『ジオウ』映画であるところの『Over Quartzer』があらゆる意味でとんでもない映画だったので(感想書こうと思ったけど結局書けなかった)、期待と不安が半分ずつくらいでした。
まぁ、あんな映画人生で何回も見せられてたまるか。

ストーリーは時間旅行や歴史改変は朝飯前の『ジオウ』の設定を借りて『ゼロワン』本編の12年前、キーとなる事件である「デイブレイク」の真実に迫っていく感じ。
殆ど『ゼロワン』の映画と言ってもよいかと思います。
今回もタイムジャッカーは本編や平ジェネと同じで何がしたいのかよく分かりませんでした。

殆ど『ゼロワン』の映画と言ってもそれはストーリーの骨子のことで、『ジオウ』のメンバーが空気だったかというとそういうことはなく。
むしろこの映画で一番印象的だったのは我が魔王、常盤ソウゴ役の奥野君の演技かなと。

演技に限らず、音楽や演出などの映像表現っていうのは作品に「説得力」を与えるためのものだと思っていて、どれだけ素晴らしいテーマ、伝えたいことがあったとしても、それをうまく映像に落とし込めなければ説得力を失ってしまいます。
まぁ極端な例を出すとシリアスなシーンで棒読みとか、アニメだといわゆる作画崩壊とかでしょうか。
それだったら映像にする意味は特になくて、極論を言うと論説でも書いて理屈詰めで作り手側の言いたいことを文章にすればいいと思います。
作り手側のメッセージを、映像を通して受け手側の感覚という非論理的な部分に訴えかけて説得力を持たせるのが「映像作品」たる意味かなと個人的には考えています。

その意味で、この映画における奥野くんの「説得力」は素晴らしい。
『ジオウ』の時からなんですけどね。

常盤ソウゴは「普通の高校生であり、未来の大魔王・オーマジオウの若かりし頃」という正直よくわからないキャラ設定をされています。
本当に彼が魔王になるということが運命づけられているのかどうかは本編とか映画とかで微妙に話が違ってきて(主にISSAのせいで)ややこしいことになっているので深く語りませんが、少なくとも彼は高校生なのに「王様になる」とだけ言って大学受験もしないし、10歳以上離れている先輩ライダーも下の名前で呼び捨てするし、タメ口だし(最初の方はけっこう言われてましたね)、無茶苦茶です。
文章にするとただのヤバいやつである彼を割と初期の頃から「まぁこいつなら魔王って言われても納得かもな」…と思えた理由が、奥野壮という役者が持つ「説得力」だと思うんですよね。
脚本や演出の功績はもちろん大きい。
オーズ編でゲイツと衝突したとき、ゲイツの攻撃を変身前の時点でかわしつつ、攻撃を利用してドライバーを操作する場面は鳥肌が立ちました。
ただそれだけではない。彼の余裕を含んだ笑顔、覚悟を決めたときの鋭い目つき、そのたたずまい全てが「若かりし頃の大魔王、常盤ソウゴ」を作品に存在させていました。

『ジオウ』では先輩ライダーを迎える立場だったのが、今回はレジェンドとしてゼロワン・或人を導く立場。

予告動画でちょっとだけ映ってますが「未来なら、自分の力で変えられる」というセリフには彼のジオウとしての経験がずっしりと乗っかっているのを感じました。
『平成ジェネレーションズ FOREVER』で自らの存在が虚構なのかと苦悩したソウゴに、自分のアイデンティティについてひたすら考え抜いた仮面ライダービルド・桐生戦兎が言葉をかけたように。
このセリフを笑顔で言えるところが常盤ソウゴの、奥野壮くんの「強さ」だと思います。
共演ものって世界観ぐちゃぐちゃで凸凹になりがちですが、この登場人物だからこそ後輩に伝えられるメッセージ、というのがしっかり感じられると熱いですよね。

そのメッセージを受け取ったゼロワン・或人。
ゼロワンも放送から4ヶ月ほど経ちましたが、(社長としての描写が薄いのもあって)或人の語る「夢」、特に「ヒューマギアは人類の夢」という主張が今のところあんまりしっくり来てないんですよね。

彼はヒューマギアの父親に育てられ、その父親に命を救われてるので、ヒューマギアに対して好意的なのは疑いようもないのですが、だからといって「ヒューマギアが夢」というのはあんまりしっくりこない。
もっと言うと彼は「ヒューマギアは人間のために尽くしてくれてる(=から夢のマシンだ)」という趣旨の発言を何回かしていますが、じゃあこの映画に出てきたウィルのように人間のためではなく、ヒューマギアのために動くヒューマギアは夢のマシンじゃないのか?っていう疑問が出てきます。

人類の役に立つから夢のマシン、だったらただの道具扱いしている唯阿さんと大して変わらないし、明確に「人類の敵」だと思って憎悪を向けている不破さんの方がよっぽどヒューマギアを「機械以上の何か」として見ているような気がします。ヒューマギアのシンギュラリティについて知って或人の考え方は大きく動くのかなと思ったんですけど、その事実を知るのも思ったよりだいぶ早い上に知ってからも思ったよりドライに暴走したヒューマギアをぶっ壊している(『555』の巧みたいに悩んで戦えなくなる展開が入るんだと思っていました)んですよね。
これは意図的なやつなのか単純にこっちに伝わってきてないのかは分かりませんが…。

そんな或人が12年前の世界で出会うのが父親、其雄。
(ヒューマギアだから)笑えない其雄の夢は「人間とヒューマギアがともに笑える世界」。
或人も同じようなことを言ってはいるんですけど重みが違うな、と感じました。
その其雄とのやりとりを介して、或人の考え、「夢」がどのような軌跡を描いていくかは、本編のお楽しみですかね。
この映画がどれくらい本編に絡んでくるかは全く分かりませんが…。
公開日の次の日の本編で「人間とヒューマギアがともに笑える世界」というセリフがあったので、影響はしている…のかな?

今回の映画は「12年前で歴史改変が起こり、人間がヒューマギアに支配された世界」が主な舞台で、わずかに残された人類はレジスタンスとして戦っているといういわゆるディストピアもののSF小説みたいなセッティングで、レジスタンスのエースになった不破さんや唯阿さん、滅亡迅雷.netの面々(この世界ではヒューマギア側のエージェントみたいな感じでした)の生身のアクションが多めで、しかも前評判どおりかなり力が入っていたので確かにここは見どころかなと。まぁその分「なんでさっさと変身しないんだ」という突っ込みどころは大いにありましたが、そこはご愛敬ですね。

変身後でいうと特筆すべき或人が滅亡迅雷.netのベルトであるフォースライザーで変身した仮面ライダー001のカッコよさ。オタクはデメリットのある変身といつものドライバーが使えなくて急場で変身するライダーが大好きですからね。父親である其雄が変身する1型との超高速戦闘はめちゃくちゃかっこよかったし、最後の必殺技がライジング"ユートピア"なところは感心しすぎて脱帽迅雷.netになりました。
他のライダーだと、仮面ライダーバルキリー・ラッシングチーターの周囲の障害物などをうまく使ったり、的確に相手の体勢を崩していくクレバーなアクションが久しぶりに堪能できたのがよかったかな、と。ライトニングホーネットが出てきたのと、単純にバルキリーが噛ませみたいになっちゃうことも増えて最近見せ場減ってましたからね。あとバルキリーの演者が可愛い。

『ジオウ』の設定を借りて『ゼロワン』の謎であるデイブレイクに迫りつつ、父親との関わりを通して自分の「夢」に対する思いを新たにする或人。ストーリーとしてかなりよくまとまっていたと思います。
急にデカくなるアナザー1号やその主張、ラストシーンで雑にバトり始めるジオウとゼロワンなど、「平成の凸凹」「瞬瞬必生」を引きずっているシーンもいくつかありましたが、かなり出来のよいライダー映画だと思います。前のやつがおかしすぎたんや…。

来年からの『ゼロワン』も楽しみですね。
映画のラストで新しいライダーが1000%バカ丸出しなドヤ顔してたり、新年1発目の予告から生け花対決とかいう仮面ライダーカブトみたいな展開になってて若干頭を抱えていますが、楽しみですよ!