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他人の好意を台無しにするブログ

ファーザー

thefather.jp

 

 

ブログ書くのがだいぶご無沙汰になってしまった。4ヶ月ぶり。

 

最近読んだ意識高い本に「インプットとアウトプットの黄金比は3:7」と書かれていたというのに観るだけ観てほったらかしの作品の多いこと多いこと。

余談ですが未だに黄金比という単語を見るたびに天才塾のじん先生を思い出してしまうし、人生に刻み込まれすぎている。

 

ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニーは記憶が薄れ始めていたが、娘のアンが手配する介護人を拒否していた。そんな中、アンから新しい恋人とパリで暮らすと告げられショックを受ける。だが、それが事実なら、アンソニーの自宅に突然現れ、アンと結婚して10年以上になると語る、この見知らぬ男は誰だ?なぜ彼はここが自分とアンの家だと主張するのか?ひょっとして財産を奪う気か?現実と幻想の境界が崩れていく中、最後にアンソニーがたどり着いた〈真実〉とは――?

 

アンソニー・ホプキンスの2度目のアカデミー主演男優賞受賞作。

認知症を題材にした作品なのですが、作品自体が認知症患者のアンソニー(当て書きだから名前が同じらしい)の視点で描かれているので、何が作中の事実なのか分からないまま物語が進む。観ていくとある程度は客観的な事実なんだろう、と固まってくる部分はあるのですが、それでも時系列だったり、場所だったりが急に変わって混乱すること請け合い。どこまでが幻覚で、どこまでが真実なのかが曖昧な箇所も多い。これが認知症患者の認識している世界なのだろうか…。

 

さっきまで前提としていた事実が急に崩れていくので、第三者としてではなく、認知症患者の世界を疑似体験できると同時に「真実は何か」というミステリー的要素に引き込まれていく作りがとにかく秀逸でした。

 

時間も、場所も、因果も認識できなくなってしまって、自分の認識は他人とズレていく。その結果アンソニーという人間が自己同一性を失い、徐々に壊れていく様子が描かれていくのですが、最後は娘と別れ、完全に幼児退行してしまうと救いがない。

(その別れすらも真の時系列的には物語開始よりずっと前だった可能性が大ですが…)

これがSFでもなんでもなくて、日本だけでも何百万人もいる人の現実なのだと考えると流石に恐ろしい。

そして娘・アンの境遇もまた痛ましい。程度はどうあれだいたいの人は自分の親に対してリスペクトがあると思いますが、尊敬の対象であった親が徐々に壊れていく様を間近で見続けるというのは筆舌に尽くしがたい体験ではないでしょうか。

職場なんかで最初からそういう状態で出会うのとはわけが違う。

 

私見だけど施設に入れて距離を置くというのも一つの選択肢だと思うんだよな…。

 

作品への没入性それ自身も素晴らしかったですし、おそらく将来的に自分もしくは自分に近しい誰かがアンソニーと同じような体験をするだろうという、なんとなく目を逸らしていたことについて改めて考えさせられる作品でした。

 

ここからは僕の偏見ですが、邦画だったらきっと絆推しの感動推しに仕立てられて(現に日本版公式サイトはそうなっている。間違いなく感動作ではない)胃もたれがするであろう題材なので、よくぞここまで冷静に認知症患者とその家族を見つめる作品として完成させたな、と思います。病気を感動のネタにする作品が好きじゃないので。