その分現金でくださいよ。

他人の好意を台無しにするブログ

素晴らしき哉、人生!

 

先日Twitterで「古い作品に触れるというのはかなりの精神的カロリーを求められる」という内容の投稿を見かけた。分からんこともない。

 

そのツイートは平成(および令和)と昭和の仮面ライダーについての文脈だったけれど、映像がしょぼいからとかフォームチェンジがどうだからとかそういう以前に、作品は基本的にその時代の人に向けて作られているというのが大きい気がする。

時代が違えば作り手が想定している受け手の状況も違うから、現代の作品と比べると作品の意図や魅力が十分に伝わってこない部分がある。

この前まで『ウルトラQ』をずっと観ていたけど、自分の感覚からすると半分以上のエピソードはあまり面白いと思えなかった(「バルンガ」と「カネゴンの繭」は傑作だと思います)。でも誰も55年後に4Kになったものを独身アラサー男性が真面目に観ていることなんて想定してこの作品を作っていないと思う。

要するに想定された対象から完全に外れている。

 

そんなことを考えてしまうのは自分自身が古い映画を観ることが割と好きだからだと思う。現代にも通じる普遍性がある作品が(少なくとも現代までタイトルが知られている作品には)それなりにあるから観続けているわけだし、現代のエンタメの源流となっているであろう作品は教養として見ておきたいという理由もある。

だからこそ、そういった作品に触れる際、自分は想定された受け手でないことに自覚的にならざるを得ない。

そのせいかどうかは知りませんが、どこで集計した名画ランキングでも上位になっているような作品を観ても一切良さが理解できない、ということも往々にしてありますが…。

 

作品とまったく関係ない話をしてしまいましたが、この作品も1946年公開だから相当古い。『ウルトラQ』よりさらに20年古い。それでも現代の視聴者を置き去りにしない映画だと思う。特別なスキーマをあまり要さないからかもしれない。

世界旅行という長年の夢をあきらめて、父の営む良心的な住宅ローン会社を継いだジョージは、ある陰謀で会社が窮地に追い込まれ、絶望の末に自殺しようとする。そこに現れた2級天使のクラレンスは、「ジョージがこの世にいなかったら」という架空の世界に連れていく..

長年他人のために働いてきたジョージに不運が降りかかり絶望するものの、最終的に自分の人生は素晴らしいものだと気づく、というのが本作の主題だが、「夢を諦め、他人に奉仕する人生は本当に幸せなのか?」という疑問が最後まで付きまとった。ジョージには世界旅行をすることや大学に行き建築家になる夢があったが、家族のために全て諦めて小さな街で家業を継いだ。そもそも彼は幼少時に冬の湖に落ちた弟を助けたことがきっかけで聴力を失っている。その人生が本当に幸せだったのだろうか。

こんなことを考えてしまうのは自分がジョージと同じような目標をもっているからかもしれない。それを達成せずに小さな街に閉じ込められて一生を終えるのは耐えられないと思う。その分ジョージにだいぶ肩入れしてしまう。ハネムーンの出発直前に大恐慌が起こったのとか不運すぎる。僕だったら絶対見なかったふりをして旅行に出かける。

終盤叔父さんの大チョンボのせいで(これに関して叔父さんはもう少し反省した方が良いと思う)倒産の危機に陥り、ジョージは荒れに荒れていたけれど、アレは今まで他者のために本心では望まない人生を歩んできて、それすらも(言ってしまえば)他人のせいで無に帰してしまいそうになったことで今までのフラストレーションが爆発してしまったんだと思っている。同じく家業のために自分の夢を諦めて(たぶん)心に悪魔を産んだ『仮面ライダーバイス』の主人公を連想した。彼も同じことになりそうで心配である。

その後のジョージといったらひどい有様で、特に自分の子供に「(取れてしまった)花びらをくっつけて」とお願いされて、体よくあしらうために取れた花びらを懐に隠して「くっつけた」とのたまうシーンは完全に卑に屈したことが表現されていて印象的だった。『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』で魁利くんが子供の髪飾りを探すふりをしつつ同じものを買ってきたシーンを思い出した。子供の純真を裏切るって言うのはなかなか効果的な表現なのかもしれない。

今回なぜか特撮の話ばかり出てくるけど本当に思い出したのだから仕方ない。

最終的に自殺を考えたジョージはクラレンスのおかげで生きる気力を取り戻し、今までジョージが助けてくれた人々が逆にジョージを助けるという形でハッピーエンドを迎える。悪役ポッターが言っていた「お友達の貧乏人は助けてくれないぞ」は一理あると思っていた(無い袖は振れないので)から、そこに意趣返しをしてくれたのは胸がすく思いだった。

 

ただ、クラレンスによって「自分がいない世界」を体験したジョージが生きる気持ちを取り戻したのが「自分の人生が素晴らしかった」ということに気付いたから、という説得力がちょっと欠けていたかなあとは思いました。どうみても「架空の世界でキチガイ扱いされたから逃げてきた」ようにしか見えなくて、それもジョージがいなかったから町の人が変わってしまったというよりは、(町の人からみたら初対面の)ジョージが知り合いかのようにふるまうからであって…。言いたいことは分かるんだけど、ショッキングな感じを出そうとしたせいか主題とあまり繋がっていないような印象を受けた。

 

という引っかかりもあったけど、テンポよく話が進むから退屈さも感じなかったし、内容も良質なヒューマンドラマだった。ジョージに肩入れしすぎて変に勘繰ってしまったのは僕の問題である。

 

こんな作品でも公開当時興行的には惨敗だったらしく、後のテレビ放送で再評価されたという経緯もあるらしい。冒頭で古い作品は想定される受け手が違うという話をしたけれど、その逆、時代と共に受け手の価値観が変わって昔の作品を別の視点で評価できるようになることもあるよね。